新宿区在住30代年子のワーキングマザーが人生の新しい幸せを模索するブログ

2018年秋に出産し、現在育休中です。幸せ、食、仕事、婚活、子育て、ライフスタイル、自己重要感など、試行錯誤しながら人生の幸せを追求するブログです。

新生児育児で発狂し、我が子のかすかな微笑みに涙した話

出産から約40日間、九州の実家で赤ちゃんと過ごした。
仕事をうまく調整しながら両親がサポートをしてくれた。

出産後、私の身体は引き続き疲れきっていて、退院からすぐに高熱、下痢に苦しみ、内科を受診した。血液検査をして、血液の高い異常数値が出ているとのことで、薬を処方してもらった。(パジャマ姿にカーディガンをはおり、円座クッションをかかえて病院に向かった。きっと周りの人は「あの人、痔で苦しんでるのかな」と思っただろう。)

その後1週間くらいかけて症状が落ち着いてきた矢先、授乳で皮膚が切れ、シャワーを浴びるのも苦痛になるほど腫れ上がる状態が始まった。1日に何回も授乳をする度に顔を歪め、授乳自体が本当に苦痛になった。傷から菌が入り、また高熱が出て、乳腺炎の手前になり、慌てて産婦人科にも通った。
胸の傷が治るまで無理はしまいと直接授乳を夜中1回に控え、あとは手絞りでは搾乳することにした。しかし、頻繁な搾乳、首がぐらぐらの赤ちゃんの長時間抱っこで右手の腱鞘炎、左手もしびれが出始めていた。1か月続いた会陰の痛み、ピキッと走る腰の痛み、ポキポキ音がなる腰のぐらぐら。

初めての育児は、出産の大変さが遠くに感じられるほど、辛いものだった。
昼夜逆転の我が子は夜らんらんと目が開き、1時間抱っこしてようやく目をつむったのを確認して寝かせるとすぐに泣いて再び抱っこの連続。
毎晩夜勤をしている気分だった。授乳から授乳の間も泣き続け、朝までぶっ通しで起きていたことも何度もある。
さすがに夜は両親にせめて寝てもらいたい、と一人で頑張ろうとした。
日に日に疲労の姿が両親に見え始め、母は抱っこの影響で腰を痛めてしまった。
安直に里帰りを選択してしまったことを申し訳なく感じた。両親が歳を取っていることをひしひしと感じた。

日中、赤ちゃんと一緒に寝ようとするも疲れすぎてハイになっているのかほとんど寝れずに夜勤に入る日々。
1か月が経過する頃、ついに私は壊れてしまった。

長時間抱っこしてやっとうとうとした我が子をベッドに置いて、もう眠りにつきたくてたまらなかった。疲労が限界を超えていた。
赤ちゃんはベッドに置かれた瞬間、泣き始めた。「眠くなんかない、眠りたいという欲求を忘れよう」と思って戦い続けてきたけど、1時間でも寝たかった。

私は自分が自分じゃなくなるのを感じた。


ぎゃーーーーーーぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!!!!


赤ちゃんの泣き声が聞こえなくなるほど大きな声で私は夜中の3時に発狂し叫んでいた。昼間だったら隣近所のお家に聞こえていたかもしれない。生まれて初めて出した発狂した声に自分でも驚き泣きながら、泣く赤ちゃんを抱きながらベッドに崩れ落ちた。母が何事かと慌てて階段を音を立てて降りてくる。

「アコちゃん、頑張りすぎよ!!もう寝なさい!!赤ちゃんはお母さんが預かるから。ほら、寝なさい‼️」と、私と赤ちゃんを引き剥がした。その後、久々にまとまった3時間、寝ることができた。でも、涙で目はいっぱいになっていた。母、赤ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいで、赤ちゃんに対して母失格だなぁと自分を責めた。

翌日の授乳は朝から搾乳分を母が温めあげてくれていた。私は我が子に合わせる顔がなくて、情けなくて、少し遠くから赤ちゃんの姿を見るだけだった。夕方に近い頃だろうか、「授乳してみる?」と母が声をかけてくれ、緊張しながら我が子を抱いた。もう我が子に嫌われてしまったかな、と心配だった。
そのとき、普段は表情があまりわからない赤ちゃんの顔にかすかに微笑みが見られた。赤ちゃんは久しぶりに私の顔をみて、「あ、やっとママだ」とまるでほっとしているかのように優しい微笑みを見せてくれたのだった。

「ごめんね、ありがとう」と涙を流しながら久しぶりに授乳をした。
母として子どもに助けられた日だった。


妊娠中は、出産がついゴールに思えてしまうけど、出産と同時に始まる育児がこんなに大変であることを私は知らなかった。
心身へとへとになり、限界を迎えた。
それでもなんとか持ちこたえることができたのは、「そばにいて支えてくれる人がいること、自分はひとりじゃないと思えること」
両親も、そして東京で仕事をしている主人も離れていたけどいつも話を聞いてくれ、主人なりに赤ちゃんのグッズを買ったり腱鞘炎サポーターを買って送ってくれたり、そばにいてくれた。
自分はひとりじゃない。そして、私に微笑みかけてくれる我が子がいる。母親にさせてもらって、一緒に大きくなればいい、そう思えるようになった。

大変さが勝り続けた新生児期。落ち着いた頃に我が子を「かわいい」と思う愛情がからだの深いところから出てきたときには、母として、ほっとした。

東京に戻り、謎のじんましんを発症し、赤ちゃんを連れて大学病院通いが続いたり、からだの不調はその後も続いたが、発狂はせずに元気に過ごせていることに感謝をしたい。