東野産婦人科での出産の記録(予定日超過、誘導入院、バルーン挿入、2日間の陣痛促進剤、無痛分娩処置、吸引分娩、11日遅れて出産)
想像以上に大変だった出産のこと
2018年秋出産予定日。
真夏に里帰りをした。分娩予約をしたのは有名な福岡市中央区にある東野産婦人科。
毎晩、熱帯夜のなか、臨月のお腹で寝るのは、疲労がたまる一方で体力を消耗した。
長くて寝れるのは1時間半。1時間半寝てはトイレに行き、またうとうと寝てトイレに行き、いつも「やっと朝がきた・・・」と眠気眼で起きていた。
予定日の1週間前からいつでも入院に備えて入院バッグを玄関に置いていた。
でも、おしるしも陣痛も破水もやってこない。予定日を過ぎた妊婦健診でも子宮口はまったく開いていない。予定日を9日経った日についに誘導入院をすることになった。
当日、バルーンを挿入し、始まった不規則な陣痛と戦いながら夕食を食べ、陣痛に耐えながら、長い夜を過ごした。
明け方から陣痛促進剤を6回時間を置いて飲み、再び夕方に内診とバルーン挿入。痛すぎて涙が出た。助産師さんから「42週に入らないように、絶対に必ず決着つかせます」と心強い言葉と励ましをもらい、お医者さんからも、「気が滅入ると思うけど頑張ろう」とカツを入れてもらった。
不定期な陣痛に再びうとうとしながら耐え続けた2日目の夜。翌朝、3回時間を置いて再び陣痛促進剤を飲む。
その後、助産師さんが部屋にきて、陣痛が不規則な波から定期的になっていると伝えてくれる。子宮口は3センチ弱。もしかしたら陣痛促進剤の点滴に切り替えられるかも、と判断してくれ、突如分娩室に移動することになった。
心が追いつかず、ソフロロジーのCDや下着をもって分娩室へ向かう。
いざ分娩室に到着すると、「ついに出産が近くにきているのか」と緊張して尻込みしてしまった。
結局、分娩室で残り3回の陣痛促進剤を飲み、分娩室で陣痛と戦いながら過ごした。分娩室に移動したはいいものの、「今のままだと子宮口が開かず、明日に持ち越しかもしれない」、と告げられ、何か子宮口を開く手立てはないのか、と途方にくれる。
その後、急に腰の骨の痛みが強くなり、ナースコール。内診してもらうと子宮口が3-4センチ開き始めたとのこと。体温は37.6℃。バルーンを入れてすでに40時間以上。繰り返す陣痛促進剤に寝不足。身体が悲鳴を上げ始めていた。
急遽、陣痛促進剤の点滴に切り替え、これから増す痛みに備えて無痛の手配をお願いする。身体を折り曲げ、動かないように固定し、背中に麻酔処置を行う。陣痛の痛みと疲労で、処置の痛みは感じなかった。数秒後には99の陣痛がきても、ハリは感じても痛みは感じないという不思議な無痛状態に救われ、1時間仮眠を取った。
あっという間に1時間後に麻酔が切れ、身体の右半分の特に痛みが増してきた。天国を感じた無痛状態から、再び陣痛の波を感じ始め、もう心は折れかかっていた。麻酔の追加をお願いするも、間隔をあけることを勧められ、その後2度弱い麻酔を入れてもらったが、もう麻酔の力よりも陣痛の痛みがまさっていて、痛くていたくて手で顔をおさえながら、必死で耐えていた。絶対今の痛みは99だ、と思っても実際は76だったり。嘘でしょ・・・と気が遠くなった。
痛みが強くて、助産師さんに再び内診をしてもらうと一気に状況が急変。子宮口は5-6センチに開いている模様。苦しみの中でも分娩の準備が急に進められていることを悟る。助産師さんの準備の手際の良さに頭の片隅で関心したのを覚えている。
その後、続く陣痛の痛みにあまり記憶がない。赤ちゃんが確かに降りてきて、ぐいぐい骨を押しているような力を感じた。
頭がおりている、そして「全開大」の信じられない言葉が聞こえて、バタバタと分娩室の人の出入りを感じた。「赤ちゃんの頭が見えていますよ!10円くらいの髪が見えます!」と声をかけてもらった。私も立ち会ってくれた主人も、「・・・まだ10円」とせっかくの励ましにまだまだ先が遠いことを悟った。
必死でソフロロジーの精神で、フーフーと息を吐き続ける。やがて分娩室の仕様が変わり、足置き場や手すりができた。「赤ちゃんも頑張っているからママも頑張らなきゃね!」と言われ、意識が朦朧となる。
いよいよ最後のいきむ体勢になった。ソフロロジーの勉強を思い出して、腹圧をかけて強く息をふく。「上手ですよ」と声をかけられ、3-4回続ける。陣痛の波と一致させながら。赤ちゃんは見えては引っ込みを繰り返している。
いきみも呼吸も苦しくなってきて、酸素マスクを付けられる。
もう、陣痛は寄せては返す波ではなく、寄せ続ける大波になっていて、呼吸が大乱れする。いきむたびに「上手ですよ」と励ましてもらい、女医さんが分娩室にいらっしゃることにも気付く。
赤ちゃんの心拍が落ちていること、吸引分娩の準備が始まったことがわかった。
もう、私はただ目をつむって、すべてをいきみに集中している。
脂汗をだらだらかき、髪もべっとり。主人が汗をぬぐい、うちわであおいでくれている。「頑張れ」と声をかけてもらって手をにぎってもらう。
赤ちゃんの肩を産道に感じて、「もう一気に出すぞ」と心を決める。助産師さんがお腹に乗り、赤ちゃんをぐっと押し出してくれる。
ぬるぬるぬる、どろろ、ぽん。
赤ちゃんが流れ出たのを感じる。
主人が「アコちゃん!!!出たよ!!!」と興奮して教えてくれた。
もう放心状態で何も見れない。目も開かない。
赤ちゃんの産声が上がったのを目をつぶって聞いた。ほっとした。
赤ちゃんの処置が終わり、私の胸に置かれたとき、
かわいくてかわいくて、「かわいい・・・・」と最初につぶやいた。
その後、肛門までさけた傷口の縫合や出血が多かったため念入りにエコーで子宮を確認する様子をおぼろげに感じた。女医さんに「頑張りましたね」と温かく声をかけてもらう。まな板の上の鯉みたいに痙攣がとまらない。
ソフロロジーのCDはエンドレスで分娩室でかかっていて、セリフもセリフの間もすべて覚えているほど。お付き合いいただいた先生、助産師さんに感謝だ。(皆さん、さすがプロだ。家でも毎日CDをかけていたのだが、「~陣痛がやってきました~」と流れる度、父から「もうCD飽きてきたよ~」と言われていた笑。)
主人が分娩室から部屋に戻り、待機してくれていた両親に出産を伝えてくれた。今日もまだ産まれないかもしれない、とみんな思っていたから、両親はハイタッチをして喜んでくれたそうだ。
23:00まで分娩室で様子をみて、点滴。助産師さんは手際よく片付けを行っている。
分娩室のベッドの足置き場、手すりがもとにもどっていく。
おむつをつけてもらい、トイレに行ってみるが、何もでない。
車椅子で部屋へ帰る。
部屋に帰って一番うれしかったことは、モニターがなくなっていたこと。
「嬉しい!」とつい言葉に出る。
その日は、腰の痛みと会陰の痛み、興奮で寝付けず、親しい人へ出産の報告メールをうった。主人は早速沢山とった赤ちゃんの写真を両親、私に共有してくれている。
バルーン挿入から、50時間以上経過。予定日から11日経過。
南京錠をかけたように固かった子宮口。ちょっとの刺激ではびくともしなかった。
でも、私の身体が一生懸命赤ちゃんを守っていたのだと思い、「なんでスムーズにいかないんだろう」と自分を責めることは一切なかった。
ただ、出産までは本当に想像以上に大変だった。主人と両親と、東野産婦人科の先生、優秀すぎる助産師さん、そして赤ちゃんとやっとの思いで乗り切った出産だった。
翌日、9:30から授乳説明会。まだ回復には程遠い痛みだらけの身体で、赤ちゃんのお世話が始まった。
この後、出産の大変さを忘れるほどの想像を超える新生児期の育児があることを知る。
続きはまた明日。
最後に。東野産婦人科の料理は噂どおり毎回豪華で満足しすぎるほど。出産後の手作りおやつもしっかり食べながら眠い目をこすりながら夜中赤ちゃんの世話をした。
主人も宿泊できるように申し込んだ特別室Aもホテルのような施設。毎日綺麗に部屋を整えてくださった。
沢山の数の方が働く東野産婦人科。本当にお世話になりました。