新宿区在住30代年子のワーキングマザーが人生の新しい幸せを模索するブログ

2018年秋に出産し、現在育休中です。幸せ、食、仕事、婚活、子育て、ライフスタイル、自己重要感など、試行錯誤しながら人生の幸せを追求するブログです。

東野産婦人科での涙の奮闘の日々~退院まで

やっとの思いで出産してからすぐに始まった育児はとてもきついものだった。

23時に分娩室から部屋へ戻り、ほとんど寝られないまま翌朝を迎えた。
9:30から授乳説明会に参加。昨日出産したママは私を入れて3人だった。
足のむくみがとんでもなく、会陰の痛みが鈍く大きい。座薬を入れてもらいなんとかふんばった。
疲れた頭で、一度の説明で赤ちゃんのおむつがえ、排便の確認、授乳の仕方、哺乳瓶の洗い方消毒の仕方、これからの過ごし方を理解するのは大変で、頭があまりうまく回っていないのを感じた。
我が子はとても小さく、すやすや寝ているか泣いているかのどちらか。
その姿を見ていると、本当に自分が産んだのか、不思議な気持ちになった。

出産前から乳頭マッサージでわずかな血乳がでていたが、産後も血乳はなかなか止まらなかった。助産師さんの判断で血乳が薄くなるまで授乳は控えることになり、ミルクをあげた。一生懸命身体が母乳を作ろうと頑張っていることに感謝をした。
でも母乳をあげない胸は今まで見たことがないくらいにパンパンに張り、痛みと熱を感じ、アイスノンで冷やして耐えたり、助産師さんに絞ってもらったりした。その際、量は沢山出ていると言ってもらい、安心した。手絞りでは追い付かず、搾乳器を使ったが、皮膚が割れてしまい新しい痛みが生まれてしまった。自分では手絞りの技術がまだなく、何度か助産師さんにお願いした。

「この母乳なら赤ちゃんにあげられるよ」とやっと言ってもらえたのは退院の前日。

授乳の仕方を教えてもらい、残りの授乳のタイミングで赤ちゃんと息を合わせて授乳ができるようにならなくては、と気持ちが焦っていた。睡眠不足、血圧が140を超えた状態が続き、検温をしながら過ごした。自分の胸がはったタイミングで赤ちゃんが寝てしまっていることもしばしば。そんなときは搾乳して授乳室の冷凍庫で保存した。赤ちゃんが起きて哺乳瓶から母乳を飲む様子はとてもいとおしかった。
でも、そうこうしているうちに、母乳練習する機会はどんどん減っていった。1週間ずっと入院から付きっきりで泊まってくれた主人が東京に帰ってしまうことで、私は精神的に不安定になった。これがマタニティーブルーなんだ…と思い、涙が止まらなくなった。
母子同室が辛くなり、ナースステーションで赤ちゃんを預かってもらった。赤ちゃんが泣いたらナースコールで呼ばれ、授乳をしに授乳室へ降りていった。ついに、授乳室に入るやいなや、明日退院すること、授乳をしても赤ちゃんの体重が全然増えないことに不安で押し潰され、大粒の涙が出てきた。他のママたちにその姿を見られて恥ずかしかったけど、もう身体も心も涙のデトックスが必要だった。助産師さんがびっくりして飛んできてくれ、事情を説明し、延泊を希望した。主人も家で待ってくれている母も「それがいいよ」と電話口で支えてくれた。

1日、また授乳の練習ができる日をもらったことで少し気持ちが落ち着いたが、同じ日に退院予定だったママが「あ~、(入院生活)本当にゆっくりできて快適だった~」と優雅なパジャマを着てしっかりメイクをして話しているのを聞いたときは、心が少しぎゅっとなった。私はメイクする気力もなく、自分の風体よりも赤ちゃんと新人同士頑張って授乳をすることだけで精一杯だった。いまでも思い出すと涙が出てくる。
部屋に帰ると優しい笑顔で待ってくれる主人がいなくて本当に心細かったけど、母が夕食の時間に自分のお弁当を作ってかけつけてくれたり、サポートをしてくれた。「あなたは本当に難産だったからね」と無理をしないように励ましてくれた。本当に母の存在がありがたかった。

直接母乳がうまく飲めず体重が変わらなかった赤ちゃんとの授乳時間も、何回か練習を重ね、わずかずつ体重が増えていった。心底安心した。やっとスタートラインに立てた、と思った。助産師さんも一緒になって喜んでくれた。残りの授乳も決して順調には程遠かったけど、いつも助産師さんが声をかけて見守ってくれた。きっと、「若草さんをよく見てあげて」という申し送りがあったのだろう、でも本当にありがたかった。

私より全然若い方からベテランの方まで、皆さん本当に優秀な技術をもっていて、命の始まりを強力に支えるという尊敬するお仕事をされているんだと思った。脱帽だ。少し離れて様子をあえて見守る方、授乳の準備から赤ちゃんの体重測り終えまで一緒に寄り添ってくれる方。色んなサポートのなか、このときの私には一緒に心に寄り添い伴走してもらうことがどれだけありがたかったか。あのときの助産師さんに本当に感謝をしている。
もう一人、私が授乳授乳で頭がいっぱいいっぱいで顔がこわばっていた頃、「やんちゃそうな顔しとうね~‼️」と笑いながら我が子をあやして側で授乳の準備を待ってくれた助産師さんがいる。そのとき、ハッと、自分の赤ちゃんの表情をゆっくり見ることを忘れていたことを思い出した。
素晴らしいお仕事に、素晴らしい人格が伴った助産師さんたちが沢山いたことを忘れずに書いておきたい。

翌日、母が迎えにきてくれ、ついに、退院の日を迎えた。看護婦長さんに見送られ、タクシーで帰宅した。その際、会陰の痛みが引き続きひどかった私は婦長さんから円座クッションを貸し出していただいた。
母と私は、とにかく「沐浴と授乳、睡眠」を合言葉に家につくなり環境を手探りで整えた。母は仕事をしながら忙しいなか、沢山のおでんを煮込み、食事を作り、待っていてくれた。
(父は東京で用事)

退院からその後約40日間、両親と私の3人4脚の新生児奮闘の日々が始まる。

また明日に続く。