新宿区在住30代年子のワーキングマザーが人生の新しい幸せを模索するブログ

2018年秋に出産し、現在育休中です。幸せ、食、仕事、婚活、子育て、ライフスタイル、自己重要感など、試行錯誤しながら人生の幸せを追求するブログです。

『永遠の0』の2つの謎について考える。

12月8日、太平洋戦争開戦から80年。

新聞記事の特集も多く、自然と戦争について考えた。

そして、そのうちの一つとして、ずっと見れていなかった『永遠の0』の映画、そして小説ともに触れることにした。

自分の想像を大きく上回る緊張感がその間ずっと働き、心が大きく揺れ動いた映画・小説だった。

 

誰もが考える2つの問い。

なぜ、宮部久蔵はゼロ戦を交換したのか。

なぜ、タイトルが『永遠の0』なのか。

映画、小説から考えて今の記憶を残しておこうと思う。また今後折りに触れ、思いが変わるかもしれない。

 

1.なぜ、宮部久蔵はゼロ戦を交換したのか。

「生き残ること」、「生き延びること」が彼の一番の目標だった。それは、自分の死が妻や子の人生を壊すのに十分なほど大きくて、そうなることが恐怖だったからだ。しかし、彼は「生き残ること」、「生き延びること」を「自分ではない他の者に思いを託して、自分の願った物語(自分の魂)が続いていくこと」へと意味を変換させていった。それは、宮部が教官となって沢山の教え子に会ったこと、彼自身が子どもをもつ父親の立場(次の世代につなげていくという意識)にあったことが大きいと思う。自分より若い教え子たちが死に行くことが耐えられなくなっていくなか、自分だけが生き残ることを願うこと、その行動を取ることも罪悪感を強くもつようになっていった。

大石の登場は、そんな宮部の希望だったのではないか。彼の人柄、勇気、真っ直ぐな心を信頼し(奥様の写真を見たときに、純粋に「きれいな方ですね」と言ってくれたことも)、彼がいれば残された妻、子どもは絶望から救われる。何より、特攻の前に川辺で「生きたい思いを今ほど感じたことはない」と宮部に打ち合えてくれた場面もあり、宮部がかつて持っていた「生きたい」という願いを大石がいまだ持っていることを確認した。宮部は、当初自分が乗る予定だったゼロ戦の故障に気づいたとき、特攻の任務をより高く遂行できる自分と、「生きたいという願い」を持ち日本の未来を託す(妻・子どものことも含めて)価値のある大石という若者とを交換することを選んだ。大切な教え子の大事な命を助けることとも同義であった。しかし、大石のゼロ戦が仮にその日は故障で帰還しても、次の日の特攻員となるかもしれない。いや、その日に故障して帰還も危ういかもしれない。すべては可能性の話なのだが、宮部は「物語が続いていく」可能性が一番高い道に賭けたのだと思う。

宮部は、常に「次を見ている人」、「先を見ている人」だった。

 

2.なぜ、タイトルが『永遠の0』なのか。

映画だけでは私は理解できなかったが、小説の中に、「なるほど」という部分があった。

P.440 「私は宮部教官の語る零戦と宮部さん自身がダブって見えた。零戦こそ、宮部教官のもう一つの姿なのではないかと―」

『永遠の0』は『永遠の宮部久蔵』と考えられる。

では、永遠はどのように考えられるだろうか。

1の問いへの考察で記したように、宮部の願う物語が他の者に託され、永遠に続いていくこと。これが「永遠」の部分ではないかと考えた。さらに、小説には大石が松乃の最期を看取る場面が描かれていた。p.567「私はあのとき、宮部さんの姿を見たんだ。松乃の横に、飛行服を着た宮部さんが立っていた。松乃を迎えに来たのだ―。」

この部分から、宮部の魂もが「永遠」であることを感じ、タイトルの『永遠のゼロ』の所以に自分なりに納得がいった。

 

 

宮部が、他の人へ「生きること」の意味深さを伝え、他の人の物語がつながっていくように生前していたこと。また、自分の物語もなるべく幸せという形で物語がつながっていくに整えて、なくなっていったこと。さらに、大石が物語をつなぐ努力を心から行っていたこと。すべてに、畏敬の念を感じる。

 

この映画・小説には沢山の心うたれるシーン・言葉があり、本当に魅力的だった。岡田淳一、染谷将太田中泯の素晴らしい演技が強く脳裏に焼き付いている。

  • (宮部が特攻として出撃する日、景浦がみた宮部の顔を表現して)「死を覚悟した人間の目ではなかった。ようやく家族のもとに帰れるような目をしていた。」
  • (宮部が特攻を希望したと知った景浦の言葉)「どんなことがあっても宮部の機を守り抜く。敵の銃弾は一発も当てさせない。宮部に襲いかかる敵機はすべて撃ち堕とす。弾がなくなれば、体当たりしてでも堕とす。」(景浦の宮部の命を守りたい思いが強烈に伝わってくる。)
  • 景浦(元ヤクザの親分)が宮部の孫を抱き寄せる場面。(嫌い、憧れていた宮部と時を超えてやっと抱擁ができたのだと感じた)
  • (最期の突入場面で、米軍が)「奴は仕組みがわかっているのか」(宮部ならわかっている、それだけずば抜けた人だったと感じた)
  • p.428「逃れることの出来ない死をいかに受け入れ、その短い生を意味深いものにしようと悩み苦しんだ人間だ」(若き特攻員たちについて語った言葉)
  • (自分の命を守ってくれた教え子に放った宮部教官の言葉)「あなた方こそ、生きて立派な仕事をするべきだ」
  • 現代の空に降り立ち、孫に敬礼をして飛びだっていく最期の場面。

 

どんな境遇にあっても、最初は理解を得られない時期がっても周りの人の信頼を徐々に勝ち取っていき、いつしか支えになっていた宮部久蔵。

エリート中のエリートたちを沢山失った家族、日本。

残された者、そして残された者からバトンを渡され今を生きる私たちは、そんなエリートだった彼らの何倍も努力してやっと何かを成し遂げられる人生になるのではないか。

 

戦争について、子どもに語れるように今更なる書籍で勉強を勧めている。

少しでも、「大切な人の支え」になれる人生に向けて。

 

 

 

ホットクックのいとおしいデメリット

急に秋が濃くなり、気温も、日暮れも早くなった。少し感傷的な気持ちになるこの頃だ。

他の作業に時間がかかり、料理作りを思いきって「いいや!」と思う日もあるけど、ホットクックとヘルシオを日々愛用している。

気温が低くなるとやはり食べたくなるシチューや、豚汁などの汁物だ。
保育園から帰宅するとお腹をすかせた子どもがそわそわして冷蔵庫を空けたり、テーブルのお菓子に手を伸ばそうとしたりして、空腹を伝えてくる。

煮込み中と空腹の戦い。じりじりジリジリ。


「(メロディ)~できあがり♪」のホットクックお姉さんの声に心底安堵する瞬間。

子どもを座らせ、スタイをかけ、ホットクックから料理をよそい、運ぶ。

「△⬜×……あっちっぢっ…~…」と鈍い声と表情。

「ひゃ~そうだよね!!ごめんごめん、ふぅふぅして!!」と詫びながら自主的ふぅふぅを促す。

子どものふぅふぅくらいじゃ、ホットクックの煮込みの高温はびくともしない。

しかしホットクックから出てくる料理が美味しいことを彼はよく知っているから、果敢に「あぢち…あちぢ」を繰り返し顔を歪めながらも口に運んでいく。

いとおしいホットクックの、「あつあつすぎる」というデメリットも、「すべての栄養が溶け込んで美味しいから待ちきれない、食べずにはいられない」というメリットに完敗なのである。

私のGoogle Home

勝間さんのホットクックレシピにいたく感激し、以来日々あれやこれやとせっせとレシピを楽しんでいる。
勝間式ホットクックの愛用者だ。

勝間さんが「OK Google」とGoogle Homeにスマートに話しかけ、食塩量やお味噌の量を教えてもらう場面が度々ある。しかし、私のGoogle Homeは最近もっぱら在宅勤務中の夫である。Google Homeがわりにして申し訳ないと思いながらも、「ねえねえ、○○(夫の名前)、2100×0.05は?」とお味噌や塩麹の量をたずねる。
「小学校のときの方が計算が得意だったなぁ」なんて言いながら、嫌な顔せずGoogle Homeのように「125グラムだよ」と私の計算式に答えてくれる。

在宅勤務中の夫は、私が調べなくてもまるでWikipediaのようでもあり、計算式にスマートに答えてくれるGoogleのようでもある笑

あまり聞きすぎると、「ちょっとほんとに忙しいんだよ?」とやんわり怒られそうなので笑、空気を確認しながら、ある意味ちょっとした夫婦共同の料理を作る毎日だ(笑)

一生懸命生きている

あんた、一生懸命生きとるんやな…

『イヤイヤ期』という時期の入口に、1歳半を迎えた子が入ったようで、保育園の先生に先日言われて少し焦った自分がいた。
もう少し先だと思っていたので、イヤイヤ期の対応について、まだあまりしっかりと勉強できてないとひやりしたのだ。
でも、この『イヤイヤ期』という言葉がどうも昔から好きじゃなくて、なぜだろうと考えると、親都合の親目線で子どもが『イヤイヤ』と言っているからイヤイヤ期なのだと思うのだ。

これからどう対峙していったら良いだろうと私は、「よし、この子をよく観察してみよう」と思った。「~する?」「~は?」→首を可愛く横にブンブン振る。「これ?」と聞いて彼の要求と一致したら、にこっ!っと可愛い笑顔で笑うのである。
まだ世の中の親御さんが経験しているイヤイヤ絶頂期ではまったくないのだろうが、一番最初に思ったことは、

「あんた、一生懸命生きとるんやな…」

であった。小さい体、小さい頭で、小さい心臓で、小さい手で、小さい足で、一生懸命生きとるんやな…。

親が望んで生み出した命。これを一生懸命前に後ろに動かしている我が子を見ると、本当にえらいな、ありがとね、と思うのである。

『イヤイヤ期』ではなく、『(こう)したいしたい期』である。自分の意志で命を輝かせようと頑張る最初のこの時期に乾杯だ。親として、感謝の時期だ。

男の子育児にわかりやすくおすすめの本です。

何歳まで生きるだろう

ひな祭りを一番大切に思えた日

昨夜はひな祭りのお祝いに、鰻のちらし寿司、いちごのムース、ひなあられを食べた。これまで生きてきたなかで、何度も迎えたひな祭り。でも、昨夜は初めて我が子を想いながら迎えたひな祭りになり、今までで一番大切に思えたひな祭りになった。

最近、夫と話すのは「この子達がいくつになるまで生きられるかなぁ」という話。40歳、50歳…
子どもが一生懸命生きている姿をずっとみていていたい…最後まで見られなくて途中で見届けることが終わってしまうことを考えるだけで、胸がしめつけられ、涙が出てくる。
信頼できるパートナーに出会ってほしい…幸せを沢山つかんでほしい。沢山の思いがこみ上げてくる。
独身のとき、両親からの結婚はまだ?の心配が本当に嫌だったけど、今なら本当にその気持ちが痛いほどわかる。愛ゆえだったのだ、と。
親にもらった沢山の愛情に対して、返せるものはほんとにわずかだろうけど、その分子どもたちに溢れるほど愛情を注ぎたい。できるだけ長く、子どもたちの成長、幸せを見届けたい。

私の好きなマイケル・ジャクソンも、よく「LOVE」を口に出していたな、とふと思い出した。

夫婦で代わり番子に取るドリームタイム

田中ウィメンズクリニックで第2子が無事に生まれ、まもなく1ヶ月になる。
連日の寝不足と始まったばかりの慣れない年子二人育児に、ゆっくり鏡を見る余裕もない日々だ。

今日、久しぶりに1時間のドリームタイムを過ごした。幸せだった~。一人になれる、私という一人の存在を感じられる時間が本当に嬉しかった。

ドリームタイムは、夫と以前決めたまさに「夢の時間」。「今日はドリームタイムいただきます!」と金曜日夫が取ったり、「ドリームタイムどこかにいれたら?」と夫に気遣ってもらったり。
今日は産後初めてのドリームタイムだった。
ドリームタイムは、一人ゆっくり自由に過ごせる時間だ。何をしてもいい。マッサージに行ってもいいし、カフェにいってもいいし、話題の本を探しに本屋にいってもいい。
こどもが生まれ、喜びとは逆に急速に増える「自分以外に使う時間の多さ」と急速に減る「自分のために使える時間」。
やっぱり、ふと立ち止まって内省したり自分だけを慈しむ時間の大切さを日々痛感する。
週に1回はドリームタイムをもてることが目標だけど、年子育児のリズムにまず夫婦でなれていきたい。

今日のドリームタイムは、近所の美味しいケーキ屋さんに行き、和菓子屋さんで黒蜜きな粉アイスを頂いた。個を感じながらも、家族で食べるケーキを買って結局は家族のことを考えているんだけど笑

それも幸せなのだろうなと思う。

ママでも、妻でも、働く社会人でもなく
「わたし」になれるドリームタイム、おすすめです。

ブックサンタ2019に初めて参加してみたー私も「日本の誰かのサンタ」になることができるイベント

私も「日本の誰かのサンタ」になることができるイベント

先日、1歳の息子が通う保育園でクリスマス会があり、最後のおたのしみにサンタクロースがやってきた。サンタクロースは、夫だ。なんでも、先生の間で「若草さんの旦那さんがぴったり!」と満場一致で意見があがったらしく、夫にサンタクロース役の打診がきたのだった。夫に話すと照れながら嬉しそうな様子。子どもにとっても良い思い出になるだろうな、と夫婦で話して「引き受けよう」と結論に至った。

 

当日はすっかりサンタクロースのおじいちゃんに扮した夫。そういえば、女性には残念ながらサンタクロース役を演じるのはなかなか難しいかもしれない。

しかし、今年、私も「日本のこどもの誰かのサンタ」になることができるイベントを知り、早速参加をした。(書店には残念ながら足を運べず、オンラインでの参加だ)

 

参加方法はとても簡単で、普通にネットで本を購入するイメージでクレジット等で決済を行える。その本が自宅に到着せずに、サンタさんからのプレゼントを楽しみにしてくれている日本のどこかにいる子どもに届けられる、というしくみだ。

セレクトできる本は絵本。懐かしい絵本が一覧に並んでいて、すぐに3冊を選んだ。

どれも子どもの頃に好きだった思い出の本だ。

 

アーノルド・ローベルの『ふたりはともだち』

○スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』

ミヒャエル・エンデの『モモ』

 

この3冊が、誰かをクリスマスに幸せにできるといいな。

今はふるさと納税クラウドファンディングなどで、自分のお金を自分の意志で寄付という形でより明確に使うことができるしくみがある。とても良いことだと思う。昨年は赤十字を通じて日本と海外の困っている方の援助募金を年末にしたが、単にお金を払うよりも、こうした絵本でもう少し具体的に自分の心を込めて誰かの笑顔を思い、寄付ができることがとても嬉しい。

 

万一、こどもが持っている本が届けられた場合には、「おや、あわてんぼうのサンタさんで間違えてしまったようじゃ。後日、小人に届けさせるからね。」と子どもに伝えて、持っていなくて希望する絵本を保護者に確認した上で、郵送対応いたします。

とのこと。子どもの笑顔が作られる確率もあがる安心感もありがたい。

 

 

booksanta.charity-santa.com

 

www.asahi.com